――後 2回、続きます。
生存戦術としての「道」
「教育的TRPG道(笑)」では「TRPG を教育環境で~」みたいな話を書いたわけだけど、ちょっと勘違いされたら困るのが、「道徳的で説教くさいゲームでもやってんのか?」と思われちゃう点。
そんなに綺麗なゲームばっかりやれるわけがないって(笑)[1]
ただ、周辺環境を味方につけながら遊ぼうとすると、どうしたって相手の年齢とか社会環境に合わせる必要があるのです。成人してればともかく、まだ未成年の場合、どうしてもプレイ環境の自由度は低くなる。家や学校といった公共空間で遊ぶことが多くなるわけですが、そこで TRPG の印象が悪いと、環境を開放してもらえない可能性がありますんで。
なのでまぁ、モデリングに際しては僕なりの「情操教育」や「社会化訓練」、それに「文化」に関する考え(これは後述)が少なからず絡んでいて、その辺で見解の相違があると、まったく違ったモデルになるかと思います。まあ、基本的には楽しく遊ぶことが最優先で、楽しめるものでなければ、その他のすべてはまったく無効化されてしまいますし。
マジョリティへ拡大できる文化と、マイノリティのまま存続していく文化では、生存戦術が異なります。TRPG は残念ながら(少なくとも現在のモデルでは)後者に属するでしょう。そうした文化の基本戦略は「無害」のアピールによる好意的な棲み分け、といった形になるかと思います。「TRPG道(笑)」なんて言葉を持ち出したのは、その辺の意識があったためです。
- [綺麗なゲーム] = 『ウルティマ4 -聖者への道-』みたいなのが遊べたら、それはそれで面白そうだけど。 [↩]
関係があるかも知れないエントリ