――やっぱり「経験者の書くマニュアル」は、他人の使えるもんじゃないな(苦笑)
CRPGの外的価値を、TRPGによって教育に援用?
一時期、『ヒカルの碁』のお陰で囲碁がブームになって、ウチの子も囲碁打ってたんですが。
あの時期に言われたことが、「囲碁は異世代間のコミュニケーションを学ぶ手助けになる」という話。実際どうだったかっていうと……それはまあ人それぞれなんですが、確かに「お祖父ちゃんと囲碁を指す」なんて状況があれば、最低限の礼儀なんかは学ぶ機会になりえます。
たとえば、ゲーム開始時の「よろしくお願いします」とか、負けた時の「参りました/負けました」とか。
あるいは指しながら何となく交わす雑談なんかにしても、同世代との会話とは当然ながら違ったものになりますし。そうした経験の蓄積は、それ以外の環境での社交性を身につける、キッカケになったりもします。
同じようなことは TRPG でも当然可能で、実際やってみてるわけで。
ずいぶんと前に書いた「殺す」とか「死ね」とかいった言葉を使わないとか、セッション前後の挨拶とか。それからセッション実施日、レギュレーションの連絡や相談……色々とコミュニケーションを取る機会はあります。携帯電話で直通回線を皆が持ったせいで、対外的なコミュニケーションの技術を身につける機会も減ってますんで、この辺は回線を制限することで相対的に、経験の差が発生しやすくなる。
こういうことはアナログゲーム全般に言えることなんだけど、プレイヤーの人数が多いことで、より協調性を養う環境としては強みがあるんじゃないかと思っていたり。それに「他者による評価」って要素は、子供から大人まで共通して強い魅力になりうるし。
あんまり口やかましくしてもダメだけど、放任主義では育つわけもなし。
口やかましくするのが何でダメかというと、大概の場合、そうすることで子供が逃げてしまう、ということだったりするんだけど、これが特定コミュニティ内で過半数を味方につけられた場合、逃げる子供の数を減らす抑止力として機能するわけで。
もちろんそれでも完全に囲い込めるわけじゃないし、ドロップアウトしちゃう子供もいるわけだけど、別の――子供が自身でそれを有益と考えるような――利害を絡めておけば、抑止力としての機能は強化できるし、それでも 50%なり 30%なり、多少なりと伝えることは出来る。
そのお陰で他の子供たちの保護者とか、あるいは教師とかいった人たちにも「アナログゲームの方が健全」くらいの認識は持ってもらえたようだし、今のところは上手くいってる感じ。
……いや、最初はほとんど二枚舌外交レベルの綱渡りだったんだけど(笑)
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