――そろそろ整備が行われるのかな? とかちょっと期待しつつ。
“読む”姿勢
自分が TRPG の論考系ブログを読んでる時のスタンスについて。
「集う」人々の多様性
TRPG という娯楽の 1ジャンルについて、それを取り扱うメディアに対しては色んな欲求があるわけです。
「とにかく遊びたい」って人から「明日のセッションのためにTipsが欲しい」って人、あるいは「自分が考えた面白いシナリオを見て欲しい」って人もいますね。
あるいは「ちょっとこんなルール考えたんだけど見落としあるかな?」って人とか、「俺んトコではこんなに楽しく遊んでるんだぜ。いいだろう!」って人も、また「みんなもっと○○○(マイナータイトル)でも遊ぼうよう」って頑張って宣伝してる人だっているでしょう。
「こないだはお疲れさまでした。また遊びましょう」って思いでエントリ書いてる人もいるでしょうし、「あの時の私のプレイはどう見られてたんだろう?」って不安から同卓のプレイヤーのブログを見に行くって人もいると思います。
また「遊ぶための場所を確保する苦労を軽減したい」って人とか、「自分たちが何をやっているのかを考えてみた」って人とか、まあ色々です。
実のところ、そういうエントリの傾向って「TRPG に対するスタンス」で決まるかな、とか思ってて。たとえば「ただ自分が好きなように楽しみたい」って人もいれば、「人それぞれ自由に楽しめばイイ」って人もいる。もちろん「楽しみを共有したい」って人が大多数であると思いますが。
そうしたスタンスが、思いが強くなることで、いきおい排他的になってしまう人も出てくる。
実際には、そうした様々なスタンスの人たちが、まがりなりにもひとつのジャンル、ひとつのカテゴリによって集団を形成し、ひとつの文化圏を形成していきます。しかし同じ体質の人間だけで構成された集団というのは、ひとつの病原体であっけなく死に至ってしまいます。長生きするには多様性が重要だと考えます。
更新履歴
- [2010/09/01 12:11] : 読みづらいって言われたんで、試しに段落ごとに改行してみました。
ある集団が存続の手段として「自立」を目指したとき、外部の協力者を排除してしまうことがあります。
しかしこれは、よっぽど地力を養ってきた集団でなければ、対外的(情報的)な孤立――援軍が期待できない持久戦――を意味します。それでもそのまま突き進んだ場合、「自立の活動そのものが萎縮」するか、「自立を強く提言する人々が集団の中でマイノリティになり、集団から分離する」といった結末を迎えるようです。
歴史的には後者――マイノリティになり集団から分離する「原理主義者」――の中で、更に過激派と言われる連中が、ゲリラやテロリストの中核を担うようになるケースが非常に多いようですが……それはまた別の話。