[Memo] 〈ゲーム〉と〈ギャンブル〉の差から

玄兎 2008.2.13 (水曜日)

 あくまで直感的に考えを進めているので、間違っている可能性もかなりありますが、今んとこボンヤリ考えてる〈ゲーム〉の正体について。

〈ゲーム〉の正体について

 前にいただいた設問に、随分とひっかかっています。
 「〈ゲーム〉と〈ゲーム的なもの〉との境界線はどこか」という設問。

 まず、脚本家の川邊一外氏が去年九月に東京大学で行った講演(『ゲームとは勝利と生存の喜びを表現する装置である』)その中で語られた

古来、ゲームの本質は「生存戦争を遊戯するもの」であった

を並べて、〈ゲーム〉と〈ゲーム的なもの〉の境界線は「現実社会に影響をもたらすか否か」と考えました。(ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』も同じスタンスにあるかと思います。まだちゃんと読めていない、理解しきれていないので断言はできませんが)
 次に『ゲーム, プレイヤ, ワールド : Gameたらしめるものの核心を探る』を読んでいくと、

分離と非生産性: 対価交渉の可能な結末

という、悩ましい話が出てきて。
 正直ちょっとややこしくて、自分の言葉に直すのに手間取るんだけど、これは

 〈ゲーム〉はほとんどの場合において現実社会と分離しており、非生産的であると言える。だが現実的に、〈ゲーム〉の結果として現実社会に何らかの影響を及ぼすことはありうる。
 たとえば麻雀で金を賭ければ現実社会の資産は移動する
(現実社会に影響がある)が、であるなら麻雀は〈ゲーム〉ではないのかと言うと、そんなことは無い。コンピュータゲームの麻雀とギャンブルの麻雀は、少なくとも構造としての相違点は無く、前者をゲームと認めない人はそうは居ないだろうから。
 であるなら、〈ゲーム〉とは「現実社会への影響の可否や規模について“選択/設定することができる”性質を持っている」と言える。

 って話……だと思います(^^;
 これは最初の川邊一外氏の話を内包しているので、後者の考えを拾って。

 ここまでをまとめると、〈ゲーム〉と〈ゲーム的なもの〉の違いはそれが「現実社会への影響の可否や規模について“選択/設定することができる”性質を持っているか否か」ということになりそうだと考えました。

具体的に考えると?

 ところでこの話、具体的にどういうものなのかが、うまく説明できません。
 分かりそうで分からない、隔靴掻痒のようなもどかしさ。
 なんだか良く分からないので、とりあえずこの定義の目的について考えてみると、これは「〈ゲーム〉カテゴリと〈ギャンブル〉カテゴリに重複するものを〈ゲーム〉カテゴリに持ってくるための定義」[*1]なんだろうと。
 それだけ〈ギャンブル〉と〈ゲーム〉の距離は近いってことでしょう。
 であるなら〈ギャンブル〉との差を考えるのは有効かもしれない。

 ところで〈ギャンブル〉とは「なんらかの結果に対して現実社会における影響を及ぼす(主に資源を移動させる)行為」を指します。そしてその結果は「明確な判定基準に従ったもの」である必要があります。
 対する〈ゲーム〉は「現実社会における影響を選択できる」性質があるわけですから、敢えて彼我の差を明確にするなら「現実社会に影響をもたらすか否か」という川邊一外氏の定義が蘇ります。〈ギャンブル〉は常に「現実社会に影響をもたらす」ものなのですから、〈ゲーム〉は「現実社会に影響をもたらさないもの」と言うことが出来る。
 だとすると、残るのは「明確な判断基準に従って結果をもとめられるもの」という点になります。

 ……これって競技の定義じゃない?

 とか言ってしまったわけです。
 これは「〈ゲーム〉と〈ギャンブル〉の両方が成立するもの」から〈ギャンブル〉の要素を取り払ったときに残ったものであり、〈ゲーム〉と〈ギャンブル〉そのものがどういう関係なのか[*2]については何ら証明できてないので、これだけで「〈ゲーム〉=競技」とは言えないわけですが、「〈ゲーム〉に競技が含まれる」ことは証明できた、かな?

 あとは〈ゲーム〉と〈ギャンブル〉の関係が分かれば、もうちょっと進められないかなコレ、とか。
 あー、でもそのためには〈ゲーム〉が定義できないとダメ?
 ……いけるかと思ったんだけど、やっぱダメかなこりゃ。

  1. [ゲームのカテゴリとギャンブルのカテゴリに重複するものをゲームのカテゴリに持ってくるための定義] = ギャンブルとゲーム、これらは共に社会における地位は低俗とされるものだが、より卑俗とされるギャンブルをゲームから隔離することで、ゲームは自らの社会的な地位を維持しようと試みていたと考えられる。
     そうした過去に対してこの説は、ゲームが自らの地位を保つために捧げてきた生贄を、今こそゲームが奪還しようという意志の表れなのかもしれない。
     これはつまり、ゲームはギャンブルに引きずられてもビクともしないだけの地位を確立したということだろう。もちろんその意味するところが「ゲームがギャンブルとの格差を気にしないところまで落ちた」とか「ギャンブルが卑俗とされないだけの地位に至った」とかいったことであると、考えられないではないが。 []
  2. [ゲーム〉と〈ギャンブル〉そのものがどういう関係なのか] = 一方がもう一方を内包してるのか、あるいは両方が独立したもので一部が重複しているだけなのか。 []
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