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[memo] シナリオ世代論

 さ、久しぶりに世代論のお話です。
 と言ってもこれは単に手法の変遷についてのメモなんで、大した話じゃありません。

 ここでは〈ストーリー〉と〈ドラマ〉という、二つのカメラを用意します。

〈ストーリー〉と〈ドラマ〉

〈ストーリー〉とは

 〈ストーリー〉とは、俯瞰的に捉えた物語の流れを指します。
 これは基本的に「事実」の積み重ねによって構成されています。
 言い換えると「神の視点」ってヤツです。

〈ドラマ〉とは

 〈ドラマ〉とは、個々人が主観的に捉えた物語を指します。
 主に他者との〈対話〉による、物語に対する理解の変遷です。
 言い換えると「個人の視点」ということになります。

世代分類

第一世代シナリオ:完全〈ストーリー〉ゲーム

 シナリオのうち、特に第一世代に分類されるものは、ゲームマスターもプレイヤーも、等しく〈ストーリー〉を追い、「事実」のみを積み重ねてプレーされるものでした。
 〈ドラマ〉は個々人がお遊びでやるもので、シナリオの中ではほとんど意味を持っていません。

第二世代シナリオ:〈ストーリー〉〈ドラマ〉分業ゲーム

 第二世代に分類されるものは、ゲームマスターが〈ストーリー〉を、プレイヤーが〈ドラマ〉を担当することで、ゲームマスターは〈ストーリー〉描写に専念し、プレイヤーがそこに〈ドラマ〉で彩りを添えることが期待されるシナリオです。
 ゲームマスターは〈ストーリー〉の処理に徹し、プレイヤーから提案された〈ドラマ〉にのみ反応する、というスタイルでプレーされます。

第三世代シナリオ:〈ストーリードラマ〉ゲーム

 第三世代になると、ゲームマスターもプレイヤーも、等しく〈ストーリー〉と〈ドラマ〉を扱うことが期待されるシナリオになります。
 ゲームマスターは〈ストーリー〉のみならず、そこに組み込まれたさまざまな〈ドラマ〉を描き、またプレイヤーにもこれに参加することを求め、プレイヤーもまた〈ストーリー〉を俯瞰しつつプレーすることが求められます。

 ……という話を先日ワークショップ後の食事会で話してみたら、わりとアッサリ通じて嬉しかったんで書いてみました(笑)

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  1. [self] すんませんセーフモード中です

8 Responses to “[memo] シナリオ世代論”

  1. 水無月冬弥 より:

     自分のブログに書こうか悩んだのですが、任せたほうがいいと思ったので(おい)
    異論その1
     ストーリーとドラマの前に、クエスト(依頼達成)みたいなのがあるんじゃないかと(ほら、ダンジョンもぐるだけだとか)
     それもストーリーかもしれませんが、ちょっとしっくりと行かなかったので。

    異論その2
     ドラマだけってのもないかなあ、と。ほら、今流行の自由なTRPGとか

    と思いました。
     あと、この区切りが正しいかどうかとして、第2と第3世代の間には大きな隔たりがあるような気我しました。

     あと、俗にいう吟遊詩人GMは第1世代なんですね?

  2. SIMON より:

    横槍失礼します。

    ここで言う「ストーリー」は「事実の俯瞰」と定義されているので、
    別に「なぜ」そうしたとか、物語としての起承転結とかは必要としていないと思います。
    したがって、「ダンジョン潜るだけ」は「ダンジョン潜って、モンスターを倒して宝を持ち帰った」
    (あるいは「ダンジョンに潜ってモンスターと戦って殺された」)
    という「ストーリー」になると思うんです。

    で、「ストーリー」が「事実の俯瞰」なら、「ドラマだけ(=ストーリーなし)」はありえないと思います。
    極論PC一人でも、そのPCのドラマがまんまストーリーになると思いますので。
    自由にやってもストーリーはなくなりません。無くなるのはあくまで、起承転結やメリハリだと思います。

    と、ここまでは記事から普通に読み取っての話。

    吟遊詩人に関しては玄兎さんの解釈も聞きたいところですが、個人的には、
    「GM(=NPC)のドラマだけを押し付けてきてPLのドラマは拾わない」(記事1から3の分類外)
    ではないかと。

  3. 玄兎 より:

     お二方ともコメントありがとうございます。
     ゲーム経験の少ない創作畑の人たちとの話だったんで、用語の定義とかちょっとズレがあるなとコメントを頂いてから気付きました(^^;
     
     さて、水無月さんからの異論の件ですが。
     これについては SIMON さんの書かれているとおりの認識です。
     私見をちょっと付け加えていきますと……
     
    >  ドラマだけってのもないかなあ、と。ほら、今流行の自由なTRPGとか
     この点は書いた時点では失念してました。
     考えてみたんですが、〈ドラマ〉だけで遊ぼうとしても、GM は舞台設定や判定などの〈ストーリー〉要素を管理しないといけないので、既存の TRPG の遊び方では難しいかと思います。
     この分類では、鏡氏の提唱する「自由な遊び」のシナリオは、第二世代型シナリオの極端な運用ってことになるかな、と。
     
     ただ、この話が次の話につながって、考えるキッカケになりました。感謝です。
     
    > 第2と第3世代の間には大きな隔たりがあるような
     そうなんですよね。この二者の間には、ひどく大きな溝があるように思います。
     理由を考えると、たぶんそれは〈ドラマ〉の価値観がガラリと変わっているからじゃないかと。
     第二世代では〈ドラマ〉は〈ストーリー〉の付属物だったのが、第三世代で〈ドラマ〉と〈ストーリー〉を不可分なものにした、というのが大きくて。
     第一→第二世代の関係が「拡張」なのに対して、第二→第三世代は「改革」になってる。
     
     前の「ドラマだけ」の話と絡んで、もしかするとこの中間に〈ドラマ〉特化型が入るかな? とも思いました。
     第二から第三までの移行期に、〈ドラマ〉の価値を大きく見た人たちがいて、それが第三世代の改革の階になったんじゃないかと。
     
    >  あと、俗にいう吟遊詩人GMは第1世代なんですね?
     吟遊詩人 GM ってのは、シナリオではなくマスタリングの問題だと考えているので、どの世代に分類される、という感じではないかなと。
     ただ、確かに第一世代型で記述されたシナリオは、PL の〈ドラマ〉対応をまったく考えていないので、愚直にシナリオに従うと吟遊詩人になってしまうと思います。

  4. SIMON より:

    およよ。
    私の認識がずれてたのかな?
      
    >第二世代では〈ドラマ〉は〈ストーリー〉の付属物
      
    〈ストーリー〉が事実の俯瞰なら、「付属」というより「混入」のイメージでした。
    第二世代ではその混入物はただ混じるだけで、第三世代では混入物が消化・吸収される。
    あるいは、必須栄養素のようになって献立に混ぜ込まれる。
    そんなイメージだったので…。
      
    >吟遊詩人
      
    そっか。NPCのドラマを押し付けてくるだけでなく、PCのドラマの押し付けもありえるので、第三世代っぽい吟遊詩人もアリですね。
    (「ああ、だめだめ、キミの戦士は失われた聖王家の末裔なんだ。もっと神々しくRPしてくれよ!」)
    (ちょっと吟遊詩人とは違うのかな?)

  5. SIMON より:

    ※補足
    「第二世代ではその混入物はただ混じるだけで」
    もちろん、第二世代シナリオのマスターでも拾ってくれる人は居得ます。(…汗)

  6. 玄兎 より:

    *第二世代では〈ドラマ〉は〈ストーリー〉の付属物
     
    > 〈ストーリー〉が事実の俯瞰なら、「付属」というより「混入」のイメージでした。
     んー、意図していたものは大体同じかな?
     第一世代の〈ストーリー〉シナリオに、プレイヤーの気分で〈ドラマ〉を創出・演出できるよう、その下準備としての設定や、可能性に対する用意を増やしたものを、第二世代と考えてます。
     それぞれの場所にチマチマ追加されているので、混入しているって認識でも合ってると思いますよ。
     
     あ、でも付属と混入では、記述方法がちょっと違ってくるかもしれない。
     うーむ。
     
     
    *吟遊詩人
     
    > (「ああ、だめだめ、キミの戦士は失われた聖王家の末裔なんだ。
    > もっと神々しくRPしてくれよ!」)
     こういうのも吟遊詩人 GM の一形態化と思ってたんですが……僕の認識が間違ってるのかもしれない(^^;

  7. haru3 より:

    はじめまして。通りすがりに足跡代わりの書き込みを。
    論旨自体ははっきりしていてかなり同意です。

    第三世代〈ストーリードラマ〉が台頭してきた背景には
    ワンオフプレイ環境ってのが大きいと思います。

    上の書き込みにある第二世代シナリオ型の《ドラマ》っていうのは極論すればソロプレイにちかいもので、共通部分としてGMに手渡された《ストーリー》の上に自由付加でやっていたわけですけどやってみれば自明ですが《ドラマ》ってソロでやっても今ひとつ。
    「可愛い女の子に同情して力を貸す」をやりたければ「可愛い女の子」を登場させる必要があるし、「可愛い女の子」が《ドラマ》的な意味で本当に可愛いためには。シチュエーションと頷き役(その可愛さに気持ちが揺れるという、ドラマ的な意味での伏線)が必要です。

    つまり、第三世代になってその日のセッションの《ドラマ》は
    皆がアクセスして皆で作るものになったわけですが、考えてみるとそれは責任が皆にあるということです。

    そこで思うのは「それは逆も真で、皆に責任を配分するために全員でドラマ構造にアクセスできるようにしたのではないか」ということです。

    コンベンションで当日顔合わせの人と一回こっきりで遊ぶとか。
    身内でも社会人でその日のうちにケリをつけたいとかいう遊び方が増えてきました。
    そういう環境下だと「続きは次回」とは云いがたいですし勢い時間制限をつけて遊ぶことになります。
    その制限の中でおさまりよく満腹感を味わおうとするとPLにもGM的な配慮(実時間に対する配慮)が求められます。

    その制限の中でGMから提示されるストーリー構造を理解してゲーム的な課題をクリアして、なおかつそこにドラマを盛り込んでいこうとすると、全員が実時間や他のPLの出番に気をつけなければいけない。
    この「そういうプレイをする必要がある」っていうのが「そういうプレイをしたい(ドラマをやりたい)」と並んで時代を革新させたもう一つの動機なのではないかな。と。

    そんな事を考えました。

  8. 玄兎 より:

    @haru3さん
     はじめまして。コメントありがとうございます。
     
    > 第三世代〈ストーリードラマ〉が台頭してきた背景には
    > ワンオフプレイ環境ってのが大きいと思います。
    (中略)
    > この「そういうプレイをする必要がある」っていうのが「そういうプレイをしたい
    > (ドラマをやりたい)」と並んで時代を革新させたもう一つの動機なのではないかな。と。
     
     環境と理想の幸福な結婚、ってヤツですね。
     そう考えると、もちろんコンベンションでは「コンベンション環境に合ったシステム」で遊ぶのが適切なわけですが、次点として「コンベンション環境に合ったシナリオ設計」っていうのも考えられそうです。
     逆に「コンベンション環境に合ったシステム」でも、「カジュアル環境に合ったシナリオ設計」にすることで、お互いをブリッジできる。(もっとも、カジュアルでもコンベンションと同じようにワンオフプレイで遊んでいるなら関係ないかもだけど)
     
     コンベンション、カジュアルの両方の環境で遊んでるツワモノは、この辺の越境技法についても詳しいかも?